戦後 文化と文明という2つの用語は、一般的な用法では同じ意味で使われることが多い。しかし、文明とは、人々が都市に定住するようになったときに生まれた複雑な生活様式を指す。文化とは、知識、宗教、信条、習慣、法律、伝統、芸術、音楽などを含む複雑な全体です。文明は多くの複雑な要素で構成されており、文化はその要素の一つです。
と、以上のような解釈がネット上でも検索すれば出てくる。
人々はどちらも同様な解釈で日常持ちいられていることに変わりわないのだ。
どちらで表現しようと何ら変わりはないと云うことなのだろう。
 確かに文明であれ文化であれこれが進歩すると云うことは、人間社会において人々の暮らしが豊かになったことも事実であり、敗戦国とは云え戦後のあの生活環境は、人間社会の営みとは到底考えられるものではない。高度成長期を経て現代社会に生きる若者には想像すらできるものではないはずである。

戦後などは金があっても物資がない。金のあるものはそれなりの生活は出来ただろうが、何もないものはどうやって生きればいいのだろう。泥棒、万引き、強奪、売春、何でもありだった。
荒くれ者は集団化して俗にいう愚連隊を形成し、闇市ではかすりを徴収したり、もともと縄張りとしていた地元の博徒を主とした組織(今では暴力団と云われるようになったが)等との対立で、日常争いは絶えなかったのだ。
これも生きてい行くためには仕方のないことでもあり、時代が生んだ文化と云えるのかもしれないのだ。
しかしその時代の彼らには、知恵を絞った犯罪と云うより体を張った生きるか死ぬかの選択肢であったのも事実だ。
 現代はどうだろう。体を張るなどの争いはない。暴力団同士のいわゆる抗争はあるものの、一般人が生きるか死ぬかのための争いなど皆無だ。それだけ国民が富裕層と貧困層の差はあれども戦後のような明日の命もままならないなどの飢えはないのだ。
それだけ文化の進展はすさまじいほど進化を示している。
平和ボケと云うものであるだろう。
体を張った犯罪はないものの、頭を生かした犯罪が際立って多くなった。それも理にかなった頭脳など無いにも関わらず計画して犯行に及ぶからお粗末な結果が生じる。
体をかけるほどの根性もないから、無謀な計画性があらわになる。今流で云うならゲーム感覚に過ぎない程度だろう。死にも狂いの犯行とは全く異なるのだ。

この文化の進展は大いに賞賛すべきところであるが、一方甚だしく衰退を見せているのが司法である。
裁判所はともかくとしても、警察、検察、検察審査会などはあり方には疑問を呈するしかない。
詳しくは書かないが、佐久間五郎氏ブログや一早掲示板等ですでに複数回に渡ってアップされている周知のとおりである。まだ拝読してない方は是非とも見ていただきたい。

houteiga_-2021106_1 特にひどいのは弁護士の在り方である。すべての弁護士に当てはまるわけではないにしろ「バッチをつけたヤクザ」とはよく云ったものだ。こんな弁護士倫理を伴わない弁護士が非常に多いのも事実だ。
これでは紳士たるヤクザ屋さんには大変失礼であり迷惑な称号である。
ここで弁護士いかなるものかお話ししよう。
一つ例として聞いていただこう。
今から50年ほど前の話になるが、会津若松地裁に村上地云う裁判官がいた。通常、裁判官などは裁判所と住まいである官舎の行き来で一日が始まり一日が終わる。これは公平な判断を期するための世間との接触を避けると云う意味合いでもあり、裁判官ではごく普通の生活パターンである。
 しかしこの裁判官は違っていた。官舎にまっすぐになど帰らず居酒屋に直行、私も知る居酒屋であったがここで箒をとるとギターを片手に今でいうならエアギターとでも云うのだろうが、歌を歌いまくっていたと云うのだから驚きだ。
破天荒なふるまいをする異端児だったのだろう。
やがて退官するとお定まりの弁護士となり開業した。
私の知り合いがこの村上弁護士に弁護の依頼をしたのだ。
事務所に一緒に行ってみたが書物棚にはウイスキーやブランディーがずらりと並んでいる。
よほどの酒好きだったと見える。出てくると足は覚束ない千鳥足。依頼人の知人も唖然としたようだ。
実際の公判の日となると、真っ赤な顔して裁判官が出てくるまでうたた寝。弁護の段階になると立てばよろよろ呂律は回らない。それでも裁判は成立する。要は刑事事件は被告に弁護がつかなければ開かれないと云う司法の在り方に尽きる。
 当然依頼者は犯罪を犯した被告であるが故のおざなりの弁護でいいのだ。
当然無罪などあり得ない。単なる言い訳程度の弁護であり減刑を求めるだけである。
これが刑事事件の裁判であり弁護士の役割であるのだ。

弁護士は全国にうんざりするほどいる。
刑事事件は、先ら述べた通りおざなり程度すむものもあれば弁護団まで結成して行うものもあり、それは冤罪による再審請求なとがいい例である。これは当然と云えば当然であり、無実の罪で長い人生を投獄によって奪われ、のちの民事訴訟で保障されたとしても過ぎ去った人生は取り戻せない。
真剣になるのももっともな話である。
一方難癖をつけたスラップ訴訟と云うべき、私の受けている「土地建物明渡請求事件」などもあるのだ。
これが民事訴訟だ。
このような訴訟がまかり通るのも、司法制度の在り方に疑問を呈するところだ。
これも現代社会が生み出した無用の産物であり、被害者は公にならないものを踏まえれば相当数あるのではないかと思われるのだ。
SやOのような悪事の上で稼いだ「あぶく銭」を得たものがなせる業である。
金があるから弁護士に依頼しとことん攻めればいい。一方私のような金など無いものは自力で闘うほかないものは、労力と精神力で闘うほかないのだ。
司法は弁護士と云う肩書だけで重みのかけ方が違うのだ。勝訴するにしても長い道のりと労力、金力の消耗も著しいのだ。
戦後、近年においてもこれほどまでにスラップ訴訟などは盛んではない。しかし現代ではこれらのスラップ訴訟を駆逐して被害者を苦しめる輩が大いに増えたのである。
4081e37fまともな弁護士なら写真にあるような幼稚じみたことは決してしないだろうし請け負わない。
こんなことは地上げ屋や追い出し屋の土地ころがしの連中がやることで、それを平然として後押しするかの如く行う弁護士は「バッチをつけたヤクザ」そのものである。
 いずれにしても第4回公判では概ね明らかにされるであろうと思われる。

事のついでに話しておこう。
つい最近だが、とある筋から話である。
 Sの息子が「親父の遺産相続などはどうでも良い。親父の死んだ後に残る迷惑はとんでもないものを残してくれる」と嘆いているとのこと。
やはりSの息子も、人であり人間であったと云う証明だ。
金があれば生きていけるではなく、人と人との信頼、信用や人としての生きざまを分け前ている表れである。
親子であってもこの違いは何だろう。やはりS自身の幼少時の生い立ちに人としてあるまじき考えが芽生えたことにあると思われるのだ。
当初私はSの息子を引き合いに出すべきだと云われてきた。しかし私にその気は全くなかった。
SやOは何ら関わりのない私の息子まで被告にした。
当初は腸の煮えくる思いであった。今考えると関の息子を引き合いに出すことなくよかったとの思いである。
息子たちには関係のない私らの闘いだ。私の息子まで引きずり出さなければならない状態は、自分らの立場が相当苦しい状況にあるとみるべきであろう。
 あぶく銭で生計を立てのうのうと暮らす生活などに魅力などない。それが故でSのような親子の断絶をもたらす生き方に何の人としての価値観があると云うのだろう。
 私には金などない。残す財産もない。それでも父と子、子と父として最後まで生きられると云うことの方が大事なことであり幸せなことである。
 Sの息子は気の毒にも思う。Sの亡きあとは自分がその非を背負うことを自覚している。
いくら金を残してくれても、人としての生きる上でSが残す非はそれほど大きいものなのだ。
それでも人に頭を下げることを決してしないのは、自己満足に過ぎないだけであり愚か者と云うほかない。