20211129_2私は被害者である。
今回の事件の一連をまとめとして公開する。
現代司法がいかにひ弱な軟弱体制かを身を持って体験してきた。最早私には見栄やプライドや恥も外聞も何もない。残されているのは首謀者S(酒店社長・会津若松市)に対する、Sの人間としての欠落。金の為なら知人友人をも食い物にしてきた悪行の数々。それに群がる悪の集団。これらの悪戯と悪意に対する憎悪だけである。
 当然貧乏人の私には金の権力には圧し潰されるだろう。たとえ我が身がどんな形でこの世から消滅していこうと残された命がまだある。警察や検察の判断がしいては裁判所の判断がいかなる結果を生み出そうが、そして生み出した結果がいかなるものであろうが、果たしてそれが正しいとはいえるのだろうか。
 世の犯罪がなくなることは決してあり得ない。ましてはすべての面において自己保身が優先される現代、この状況下では世の平和などは見せかけだけのものであり、すなわち平穏無難に生活をできるものには無縁であり、あまりにも無頓着だということなのだ。我が身がその場に置かれて初めて目覚めるだけなのだ。
 幸い私には老化した体でも頭はまだ生きているようなので、闘う気力は残されている。
「書くは云うがごとし」司法権力に押し流されても、書き続けることはできるのだ。私はジャーナリストでもマスコミ関係でもない。実際の被害者として六年近くも闘い続けている。
今までの数々の境遇禍でストレスにより持病の悪化、原因不明の症状にも悩まされているのも事実。
残されている命を有効に使い切らなければならないところでもある。

 さて今回の実際の犯罪手口を改めてまとめてみる。
問題の土地建物の所在地は会津若松市馬場町4-7であり、現在は息子が住んでいる。
私どもは長谷川家として100年以上に渡り住み続けてきた借家借地である。
当時隣家には山田泰一夫妻が住んでおり、三軒の長屋のような建物で土地面積は約230坪。
のちに山田さん夫妻がここのすべての地を買い取った。以来当家は山田さんに家賃を支払い現在に至っていた。当時を振り返れば、山田さんには子供もなく私どもとは家族同様の付き合いであり、当然契約書なども存在しない。そういう時代であった。
山田さん夫婦が亡くなった後は、群馬県在住の親族の山田光男さんが相続し、以後一切現状のままで引き継がれ当家で管理してきた。建物も当時のままで相当痛みも激しく遠距離と云うこともあり、自費で修理や改築も当家でしてくれるのならと云うことで、現状の無条件のまま引き継がれた。
当時500万円ほどかけて家を改築している。
その後、東日本大震災の影響で敷地内にある土蔵(当家は使用しておらず関知していないが、外観の補修などはある程度私がしてきた)が倒壊寸前の状況、それに加えて台風で土蔵の屋根が飛ばされるなどの被害に被られた。
 そこで山田家としては、維持が難しいということで売却したいとの話が出た(中間省略)
 
 長文になるのを避けるために、各詳細にかかわる内容は、郡山在住の政治評論家である故・佐久間五郎氏が長期にわたりブログ等で書いている。またYouTube、Fasebookl、X,などSNSでも一早掲示板やテレビ小僧等が数多く投稿している。「月刊誌政経東北」昨年8月号、本年1月号でも掲載されているので参考されたし。

4081e37f ところでOが勢い余って私や駐車場利用者を弁護士名を使って恫喝脅迫。私が警察に「脅迫・器物損壊罪」で訴えたことを知るや民事裁判の「土地建物明渡請求事件」として東京地裁立川支部に訴えを起こし提訴した。
これこそがこういった輩が手の内とする常套手段だ。世間で話題のスラップ訴訟いわば根拠なき訴えである。あえて遠隔地の裁判所に訴えを起こし、被告とされたものの金銭的負担、交通手段等の労力、能力等で陥れる作戦である。
金銭的に揚力のないもの知識の乏しさなど考慮しても、Oのようなあぶく銭の持つものとは違い、弁護士など雇えないからいずれ音を上げる。これが奴らの狙いであるのだ。通常の精神力では太刀打ちできない。私としても実際閉口した。ゆえにストレスだろうと思われるが正体不明の病に侵されている。
しかし、私としてはここで音を上げるわけにはいかなかった。
 立川地裁では一度福島地裁会津若松支部への裁判移送を却下されたが、すぐに東京高裁へ移送の抗告をし認められて若松地裁へと裁きの場が改められた。
これは奴らにとって大きな誤算であったろうと思われるのだ。
結果如何の問題ではない。幸いに私には佐久間氏のように支援してくれるものがいる。世論という強い味方がいるのだ。大いに私を奮い立たせている。

 この民事裁判も酷いものである。この今回の四回目となる証人尋問とする公判で結審となったが、その様子を少し公開しよう。
今までの公判では、「不法に占有しているから土地建物を明け渡せ」「登記しているから真の所有者」「今まで係る損害賠償を支払え」の訴えだ。
証拠等も当初は登記謄本のみ。のちに契約書を提出するも金額は消されている。私の準備書面や裁判官の指摘により二度目に提出したものは1.500万円である。
これは税金対策もあったのだろうがいささか疑問である。私を脅迫に来た際は2.200万円で買ったと明確に吠えている。もちろん監視カメラの映像にも残されているのだ。

この結審となった公判は実に面白いものだ。
当初出廷はしないだろうとの評判だった、S、原告とするOの出廷だ。
この変貌ぶりはいささか不自然に思われた。
証人尋問には、S(酒店社長)の従業員酒井宏文氏が証人としての「陳述書」が先に提出されている。この公判の流れは前投稿の「第四回「土地建物明渡請求事件」本日結審!すべて公開します」(削除されています)
を参考されたい。

 一番目の証人はS。黒づくめのジャンパースタイルに黒のスニーカー。髯を相変わらず伸ばしている。本人にすれば迫力満点の悪役イメージなのだろう。最も髯をとれば迫力どころかそん所そこらのスケベ親父だ。今回のいでたちは闇金のおっさんと云うイメージだ。
私とは視線を合わせることはない。「あなたは誰の口添えで前所有者の山田さんと会いましたか」と尋問すると、私に背を向ける格好で「そこの、そこの長谷川‥はせがわ‥です」だ。長谷川さんとは云いたくないのだろう。私とて本来ならSさんとかS氏などとは呼びたくもない。しかし仮にもここは法廷であるのだ。さんとか氏づけあってしかりだろう。こうした態度がSの高慢な人を人として見ない、見下した態度そのものであるのだ。
あとはお決まりの進展、「わかりません」「記憶にありません」領収書に関しても申告しているから問題ないとか、借主の台数の変更でさえ把握していないものが、どのように申告するのか滑稽だ。ましては申告で争っているのではないのだ。本論争の趣旨から外れている。
こんな答弁では証人としての出廷に何の意味があるのか。あとでわかることであるがSとOは酒井氏証言に圧力をかけ、監視目的が最大の意味での出廷ととらえるのが本筋だろう。
その一番お粗末なのは証人の酒井宏文氏だ。証人は私側の証人だ。
しかし宣誓書を読み尋問を始めるとどうも様子がおかしい。
まるではぐらかしの様な受け答えだ。私は「証人は正義の許、宣誓し証言台に立っているわけですが、今の発言でよろしいですか!」私は助け船のつもりで切り出した。
おそらく圧力がかかっていたのだろうと私は見抜いていた。
裁判には出ないと云っていた(酒井氏談)SとOの出廷。疑問を感じた私は事前に酒井氏に電話をかけている。
いつもなら、少したってかけてよこすのだがこの日に限って電話がかかってこない。
40分ぐらいたったころようやくかかってきたのだ。裁判の時間も迫っている。Sと一緒だという。声が上ずっている。
私はOも一緒だと直感した。あの狂暴極まりない口調のOとSにやり込められたら酒井氏などひとたまりもないだろう。
酒井氏には気の毒な思いをさせたと思っている。しかしこういったことが奴らの世界ではまかり通してきたのだ。その成功事例があるからこそ今でも後が絶たないのである。
裁判官にはどのような印象だったかは知る由もないが、傍聴者はその辺の異変は明らかに感じ取っている。
結論は乞うだ。SやOにとって自分らの証言などどうでも良いのだ。その真意は酒井の証言を阻止することにあるのだ。証言するにしても、当事者が証言台の後ろで睨みをきかしていたら当然証言者は躊躇するのは必然だろう。奴らの真意はそれである。それほど酒井氏の証言は中身が濃いものだ。Sが最も恐れるものだろう。
 私は酒井氏はSの現役の従業員であり、出廷となればSらによる圧力や妨害が懸念されるので、裁判所による召喚状の呼び出しを要求した。
案の定、SとOによって圧力は行われたのだ。これは明らかに証人への妨害行為だ。
刑事事件であれば大変なことなのだ。あまりにもこの出廷形態には問題がある。
被告側の証人は尋問が終わると退廷させられる。しかしSとOは最後まで退廷させられずに傍聴席。後でわかったことだが、原告側の証人はいても良いとのこと。退廷は被告側証人のみだと知った。しかしこれもおかしな話。圧倒的被告側の証人にとっては重圧である。
おそらくは昔流の裁判法であろうかと思われるのだ。脅されて挙句後ろで睨みをきかされればまともな証言などできるはずもない。
この辺の法律も改正の必要があると思うところだ。
果たして裁判官はこの行為をくみ取ることが出来るのかも焦点の一つだろう。
陳述書酒井-1ここにその酒井氏の陳述書を公開する。これを裁判官が採用するならば、おのずとSの陳述は崩れるはずである。後はOの証言はとるに足らんものと考える。なぜなら全く訴えている趣旨とは違うものであるからだ。先に述べた通り、訴え趣旨の立証は原告側にある。その立証はほぼ皆無であり今回のOの証言は意にそぐわない「善意の第三者」を装うための証言に過ぎないものであるのだ。善意の第三者として、Sとコクドの斎藤新一(別件詐欺で逮捕済み)に騙されて買ったと明らかに証言している。傍聴者も聞いているし、裁判所記録にも残されているはずだ。騙されて買ったのなら、それこそ善意の第三者として「錯誤の登記」で元に戻せばいいだけの話で、Oに致命傷は無いはずだ。騙されて買ったというのら通常はそうするはずであるのだ。それを当事者のSやコクドの斎藤を訴えることもなく、しゃーしゃーとして関と同席して出廷しているという矛盾点はどう説明できるの陳述書酒井2か。誰が考えても出来レースと考えるだろう。
通常の人間でも気づいているはずだ。
訴えの立証は何も行われていない。まったく別方向へのこの裁判を、裁判官がどう判断するのか大いに関心深く注目したいところだ。
 最後の尋問はO、シャツにネクタイを締めちょうど私を脅しに来た時と同じ格好だ。当人にすれば紳士的スタイルだと認識しているのだろうが、とんでもない。
傍聴者の中には、Oの格好を見て「Oはヤクザは怖いとかほざいていたようだが、あいつの方がよっぼとヤクザそのもの」と批判する者もいた。
私にもそうは見えない。詐欺師か半ぐれの類にしか見えない。どんな服装で身を包んでも心の中身が表面に出てきて、人の目にはそう映るのだろうと思うところだ。

判決は7月25日。どんな結果が出ようとも驚きはしない。何故なら私は法に触れることは何もないのだ。違法な行為は奴らにある。間違った判断を下せば非難を浴びるのは裁判所側である。
道のりは長くても私には高裁への控訴も残されている。最高裁ヘの道も残されているのだ。
焦りなども何もない。
「窮鼠猫をかむ」のことわざもあることを、SやOにも思い知らせねばなるまい。
金への欲望と悪戯で人の人生まで狂わせ、平穏な日常をも打ち砕く行為が、いかに愚かな行為であるかを知らしめなければならない。
私は生ある限りSと太O及び斎藤には対峙する。
 郡山市在住の佐久間五郎氏には、毎回の裁判にも傍聴いただき感謝の念に堪えない。また同様の傍聴に駆け付けて頂いた友人知人にも感謝する次第。(佐久間五郎氏は昨年12月に他界している)この場を借りて、熱く御礼申し上げるところだ。
また皆様にお願いがあります。この裁判ですべてが終わるわけではありません。
奴らの目的が明らかである以上、次から次と攻撃が止むことはありません。次に何を考え何をやらかしてくるかは想定しています。当方でもあらゆる手を講じ対応しています。
Oやコクドの斎藤、首謀者のSの犯罪の事実を知ってる方、被害に実際あっている方の情報の提供をお願い致します。特にOのバカラ賭博等の情報などを求めています。
こんな輩を野放しにすれば、次の被害者はあなたかも知れません。
情報よろしくお願い致します。